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【ご報告②】JICA東北×インドネシア バンダ・アチェ共創プログラム

  • 執筆者の写真: しずか 平岡
    しずか 平岡
  • 1月29日
  • 読了時間: 8分

更新日:3月5日

12月末に参加した「JICA東北×インドネシア バンダ・アチェ共創プログラム」についてご報告します。今回は、2011年に教師海外研修に参加してから13年振りの訪問となりました。スマトラ沖地震・津波発生から20年の間に、JICAが行った支援事業について振り返りながら調査を行いました。今年、東日本大震災から14年目を迎えます。今回の調査を踏まえて、改めて、宮城県の取り組みについて見直します。


💻「宮城県地域防災計画」

💻「広報紙Baton(バトン)」

💻「東日本大震災アーカイブ宮城~未来へ伝える記憶と記録」

💻「みやぎ復興のたび」

💻「3.11伝承ロード」


12月26日 共同墓地(ULEE LHEUE村)
12月26日 共同墓地(ULEE LHEUE村)
子どもを亡くした母親の証言
子どもを亡くした母親の証言
避難ビル(共同墓地に隣接)
避難ビル(共同墓地に隣接)
避難ビル(シャクアラ大学津波・災害センター)
避難ビル(シャクアラ大学津波・災害センター)
避難ビル
避難ビル
避難ビル屋上からの眺め
避難ビル屋上からの眺め
避難ビル内部
避難ビル内部
地域の集会・記憶の伝承(他の村の避難ビル)
地域の集会・記憶の伝承(他の村の避難ビル)

💌「平岡しずかチャンネル」(ショート動画)


1. 防災教育について

2011年から2013年まで、東北より39名の教師及び教育委員会の指導主事等がアチェを訪れた。前回、防災教育のモデル校に訪問してから、学校現場における防災教育がどのように変遷してきたのかを調査した。教育庁関係者、管理職と先生方・震災後に生まれた生徒たちに対してヒアリングを行った。


(1)第11中学校(2011年12月にも訪問)


・プロジェクト参加者29名を4グループに分けて活動。他の生徒たちに防災に向けた取組について紹介している。

(例)段ボールベッドの使い方 / 防災マップ

・2024年5月、岩手県や宮城県の防災教育を学ぶため、3名の教諭が釜石市や大槌町、東松島市などを訪れた。日本で学んだことを他の教員に共有した。

・「防災教育」の授業はないが、愛国主義を含む各教科において防災教育を取り入れている。帰りのお祈りの時間にも5分程度実施。

・2025年より、第3木曜日に避難訓練を実施(昼休み前15分間)する予定。学校には避難タワーのようなものがあるが、階段が錆びており使用が困難。

・PTAと村長との間で、語り部をつくる話が始まっている。近隣の小学校と共に実施予定。


伝承歌Smong
伝承歌Smong

Smongとはデバヤン語で「津波が来る」という意味。1907年に発生した地震・津波によりシムル島の住民80%が犠牲となった。大きな地震後に津波が発生するということが歌い継がれてきた。


(2)第9中学校

・津波ミュージアムに近いことからモデル校に選定された。博物館は避難場所としても想定されている。

・参加を希望した生徒たちが10グループに分かれて取り組んでいる。例えば、防災バッグを準備する必要性について、リーフレットを作成して在校生へ配布した。生徒たちによると、日本の生徒の防災意識の方が高いと感じている。

・教科の中で防災教育を取り入れてきた。

・教育事務所の方針に従い、避難訓練は半年に1回実施。


(3)アチェ津波博物館(2009年開館)

五感で学ぶ
五感で学ぶ
津波発生までの過程を学ぶ
津波発生までの過程を学ぶ
瓦礫撤去を行う象たち
瓦礫撤去を行う象たち

・2025年8月まで、釜石市とアチェの防災教育に携わっている。2024年5月に、釜石市や大槌町、東松島市などを訪れた職員もいる。プロジェクト終了後の活動の方向性を探っている段階である。

・モデル校と地域と協働して防災アクションを作成している。学校から博物館の防災マップの作成も行った。

・釜石東中学校において、災害時の炊き出しの訓練を行っていることを知り、周りの人を助けるためにできることはないか検討している。

・プロジェクトが終了する8月以降は、生徒たちが博物館を訪問することにとどまらず、自分たちから各学校で防災教育を行いたい。


(4)第48小学校

・8年前、東松島市の派遣メンバー(防災士)が親子防災ワークショップを実施したことがある。

・児童によると、津波については家庭や博物館で学んだ。津波はこわいもので、すぐに逃げなくてはいけないと認識している。

・校長先生は赴任したばかり。学校が海岸近くにあるので、生徒を守るためにも、先生方と防災教育を進めていきたいと考えている。


震災遺構「Kapal Lampulo」         「ノアの箱舟」と呼ばれる民家に乗り上げた木造の漁船。59名の命が助かった。
震災遺構「Kapal Lampulo」         「ノアの箱舟」と呼ばれる民家に乗り上げた木造の漁船。59名の命が助かった。
震災遺構「PLTD Apung」            整備中電源線保全公園。津波によって港湾から約5km離れた市街地に流れ着いた。
震災遺構「PLTD Apung」            整備中電源線保全公園。津波によって港湾から約5km離れた市街地に流れ着いた。

💻「奇跡の男」体験が本に 津波で船流され唯一生還―インドネシア・スマトラ沖地震

『時事通信』(2024年12月26日付)


調査を終えて:

・両国の教育者・生徒が共同プロジェクトを行うことで、防災教育の学びが深化していることがわかった。一方、スマトラ島沖地震・津波の発生から20年が経過したにもかかわらず、依然として防災教育に取り組む学校が限られている。JICAの支援が終了した後も、教育省やアチェ市の教育事務所からの予算がつき、全ての学校において継続して取り組むことを期待したい。

・今回の意見交換の中で気仙沼市の防災教育について聞くことができた。年に1回全市民が参加する避難訓練を行っており、市内の中学校9校のうち2校が登校日となっている。判断は管理職に任せられている。子どもが参加すると保護者も関わるようになる。登校日ではない学校では、ほとんどの生徒が参加していないという。教育委員会や管理職の判断の重要性を感じた。

・学校で教員として震災を経験したことのない先生方も増えているが、研修を行っていないことがわかった。勤務校の異動がある中で、学校内での伝承も不十分になりがちである。なお、宮城県では初任者研修や管理職研修で被災地を実際に訪れることなどの研修を実施している。

・後日、教育文化局に確認したところ、災害に特化したカリキュラムを設ける予定であるとのこと。



2. 東松島の草の根技術協力事業

2013年から6年にわたって、バンダ・アチェ市と東松島市で事業に取り組んできた。今回は、事業に関わった方々にお会いし、事業の振り返りと現状についてお伺いした。


(1)ランブン村の村長さん(Community of Lambumg Village)

東松島の漁師が活動していた漁港がある村(300世帯)。プロジェクトを通して、村と政府の関係が良くなった。東松島市を訪れ避難ビル(コミュニティセンターの役割)や廃棄物の扱い(分別とりサイクル)について学び、実践してきた。避難ビルは老朽化が進んでいるが、行政によるメンテナンスが行われていない。リサイクル事業については、村の利益を上げることにつながっていた。しかし、コロナ禍以降、予算が削減され、処分場まで自分たちで運ぶことになり、回収箱も撤収され9年前と変わらない状況に戻った。しかし、次期市長にランブン村出身の元国会議員Illiza Saadeddin Djamal氏が就任する予定で、状況が変わるのを期待している。

地域の避難ビル
地域の避難ビル

(2)デア・グルンパン村の村長さん(Community of Deah Glumpang village)

経済の活性化のためのモデル事業として、避難ビルを拠点として、廃棄物管理・共同農園・産品市を行ってきた。前村長の時代は、村が管理しながら村のために使用してきた。しかし、現在は、政府所有のため、防災センターの許可がないと利用できない。避難ビルについて知ってもらうための機会が必要であるが、トイレや電気は使用できない状況。廃棄物の扱いについては、ランブン村と同じ事態に陥っている。以前は川などにゴミを捨てていた。東松島市で学び、リサイクルをすると商品と交換できるという仕組みを整えたことからリサイクル率が上昇した。


(3)アルデアテウンゴ村の村長さんと住民(Community of Alue Deah Glumpang village)

2015年に、住民と公務員が選ばれて東松島市で3カ月間の研修を受けた。ゴミ分別やリサイクル、空き地を活用した農園、ステッチガールズから学び、研修中に10個のアイディアを考えた。帰国後、アチェの役所から支援を受けて実現できた。以前は海にゴミを捨てたり、焼いたりしていたが、現在は集積所を10箇所設けた。アチェ市には36箇所の集積所ができ、分別に対する意識も高くなった。活動を通して、地域のお母さんたちの関係性も良好になった。子どもたちの行動にも変化が現れた。きれいな街として選ばれて表彰を受けた。


💻「東松島ステッチガールズ」


(4)ウレチョ漁港の元村長でもある漁師のザイディさん

ザイディさんはJICAの人材育成制度に参加して、東松島市で魚の鮮度維持について学んだ。同時に、定置網、牡蠣養殖の技術指導を行った経験がある。また、東松島市の漁師がウレチョ漁港を訪れ遠洋漁業へ共に出かけたこともある。20年前の津波で家族を失ったが、村長という立場から復興に取り組むという使命があった。しばらく漁師として海に戻る気持ちにはなれなかったが、東松島市の漁師との交流を経て、変化が起こった。今でも電話で近況を話すなど交流が続いている。


調査を終えて:

・東日本大震災直後より、JICAが日本国内の地方創生に向けて実施した事業と成果について確認することができた。東北と途上国の被災地が、互いの復興の経験を共有するだけでなく、より豊かな暮らしを得るための知恵や技術についても学び合っていることがわかった。

・アチェでは、JICAが関与することで、行政と住民、住民同士の関係も円滑になったという。一方で、事業終了後、コロナ禍も影響して、予算の削減や管轄の変更に伴い、住民主体のはずであった事業が、従来通りに行えなくなった。しかし、今回の調査を通して、住民と行政側(アチェ)の認識の違いを確認した上で、行政と住民のつながりの再構築に向けて、働きかけることができた。

・今回参加した東松島市の職員の方々は、草の根技術協力事業が終了した今も、持続性をもたせたプロジェクトとするために、熱意をもって取り組んでおられる。今後も、東松島市における取組に注目したい。


💻「TOHOKU×WORLD 東北は世界と強くつながっている」



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