大学時代、私は史学科に在籍し、日本近代史を専攻していました。歴史学は、史資料を収集し、事実の検証を行うために批判を重ねる学問です。過去を語る時には、主観的判断や回想的評価が含まれるだけでなく、時には、何らかの意図をもちます。我々がもつ人間としての弱さや醜さを常に自覚していなくては、この世界はことばによって崩壊していくのではないかと、私は危惧しています。
近年は、誰もが発信できる情報過多の時代です。このような時代にこそ、批判的思考に基づいて、情報を吟味する思慮深さがより一層求められています。しかし、実際は、妄信的に群衆に加わり、自らが信じる正義を振りかざす風潮が見られます。人間としての弱さを見せたり見せられたりするネット空間。分断と対立が深まる世界において、沈黙を貫くことで自らを守ることが可能です。しかし、内なる声が問いかけます。
「悪魔の片棒を担ぐのかい?」
ネット空間と現実社会の境界線が曖昧となった今、人の命を奪いかねない、歪んだ正義感を看過するわけにはいきません。1カ月振りにX(旧Twitter)による発信を再開しました。私はことばのもつ力を諦めません。
ピーツピ ヂヂヂヂヂ!
You are not only responsible for what you say, but also for what you do not say.
あなたは自分が言ったことだけでなく、言わなかったことにも責任があります。
ー マーティン・ルーサー・キング牧師
「ことばでつながる」(2023年5月24日)