昨日、親戚が住む南三陸町を訪れました。2011年、東日本大震災における津波によって、町の中心部の約8割が失われました。街並みが一変したため、震災後の数年間は、道に迷いながら目的地を目指したものでした。昨年10月にオープンした「南三陸311メモリアル」の展望台からは、かつての町の中心地を一望できます。その景色を眺めていると懐かしい声が聞こえてくるような気がします。
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数年前に祖母が天寿を全うしました。祖母の父は村長でした。祖父に嫁いでからの約70年間は、陰になり一族を支え続けてくれました。出棺する日、私たちは初めて祖母を自宅から見送りました。生前、祖母はどのような気持ちで、去り行く者たちの背中を見ていたのでしょうか。
「いってらっしゃい。」と送り出してくれる人がいる。「ただいま。」と帰れる場所がある。このようにして、いのちは守られ、育まれていくのでしょうか。「ただいま。」と言えずにこの世を去ったいのち。「おかえり。」と言えずに残されたいのち。お盆期間中に、しずかな再会のひと時を過ごせますように。